(その1より続く)
広辞苑をみても、「離れる」という言葉には、「超越する。」とか「拘束された状態などから解放される。」といった意味もあることが確認できる。
また、「離れ技」は「並みよりも一際すぐれたわざ。」であり賞賛に通じているし、「離れ穢し(ぎたなし)」は、「未練が多くて離れにくい。」とか、「金離れが悪い。しわい(けちという意)。」と、ある意味では、潔く(いさぎよく)離れないことを嘲弄する言葉である。
この様に見てくると「離れるということ」には、どこか潔さ(いさぎよさ)に通じるi意が込められているとも考えられる。
ただし、「離れるということ」に潔さ(いさぎよさ)に通じる何かを感じるためには、無責任で利己的な態度は許されず、利他的で思いやりのある態度がしっかりと担保されていなければならないだろう。
そして付け加えれば、「男はつらいよ」の寅さんのように、家を出てしまっても、そのうちに故郷が恋しくなってしまい、すぐに帰ってしまうような、人としての可愛げや弱さがあってこそ、潔い(いさぎよい)感じが残るのかもしれないとも思う。
ところで、1975年、長崎県の奈留島の学校(奈留高校)の女子生徒が、深夜放送でDJをしていたユーミン(松任谷由実さん、当時は荒井由実さん)に、「校歌をつくってください」とリクエストをし、ユーミンがそれに応えて奈留島に「瞳をとじて」という名曲を贈ったことはよく知られたエピソードである。
この「瞳をとじて」の歌詞は、「遠いところへ行った友達に、潮騒の音がもう一度届くように、今、海に流そう」と、島から「離れるということ」が織りなす人間模様を描いており、そこに深い郷愁を感じるのだが、その淋しさの中にはどこか未来への希望を含んでいて、その名の通り、島の風景が瞼の奥に浮かぶようでノスタルジックな美しさがある。
また、ビリージョエルの「さよならハリウッド(SAY GOODBYE TO HOLLYWOOD)」も、
「街を出るのはいつだってまたうまくやろうとするチャンスなんだ。ひと言まちがえりゃ、友達だったやつも行っちまう。ずっと・・・永遠にな。だからいろんなやつが、おれのそばに来てはまた去っていく。ずっと続くのもいれば、すぐに行っちまうやつもいる。人生は、こんにちはと、さよならの連続さ。また別れの時が、来てしまったよ。(歌詞対訳:山本安見)」
と歌っていて、ロサンゼルスを離れる淋しさと同時にマンハッタン島に向かうよろこびも感じられて、「離れるということ」がどこか未来に向けた積極的な力を幾重にも持っていることが自然に伝わってくる名曲だと思う。
以上、離島(りとう)という言葉と「離れるということ」について綴った。
とにもかくにも、これらの曲を聴けば、「離れるということ」がただ単に淋しいことではなく、どこか自主独立に通じた響きがあり、希望につながるパワーをも秘めたものであることを素直に感じることが出来る。
そして、「離れるということ」がもしもそういうものであるとすると、日本が6852の島々から成り、それぞれが海によって「離れていること」から得るものは、ひょっとしたら我々が想像するよりも遙かに大きなものではないかと思えてくるのである。
東京諸島の御蔵島(みくらじま)で撮影。
ゆっくりと「離れること」で、情感のある想い出に熟成されていく。
島旅の醍醐味ではないかと思う。
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