日本の島、由利島の公衆電話
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コメントが寄せられたお知らせです。知人の名前を見つけました。
宮本常一 生誕100年 福岡フォーラム
宮本常一を語る会主催
5月27日(日) 13:00~17:00
アクロス福岡 円形ホール
フォーラム概要
主催者あいさつ[ 代表世話人 長岡秀世 ]13:00~13:10
ドキュメンタリー鑑賞[ "学問と情熱"シリーズから ]13:13~14:00
基調講演[ "家郷の訓"と私 原ひろ子 氏 城西国際大学客員教授 お茶の水女子大学名誉教授 ]14:05~15:20
パネルディスカッション[ コーディネーター 長岡秀世 ]15:35~16:45
パネリスト
武野要子 氏 (福岡大学名誉教授)
鈴木勇次 氏 (長崎ウエスレヤン大学教授)
新山玄雄 氏(NPO周防大島郷土大学理事 山口県周防大島町議会議長)
佐田尾信作 氏 (中国新聞記者)
藤井吉朗 氏 「畑と食卓を結ぶネットワーク」
照井善明 氏 (NPO日本民家再生リサイクル協会理事一級建築士)
作品展示
宮本純子[ 宮本常一名言至言書画作品 ]
瀬崎正人[ 離島里山虹彩クレヨン画作品 ]
鈴木幸雄[ 茅葺き民家油彩作品 ]
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それが、愛媛県の来島群島地域にある比岐島(ひきじま)である。
面積は0.3k㎡で周囲は3.3kmの小さな島で、今治市の東にある。
愛媛県離島青年協議会の資料をみると、「慶長年間(1596年~1615年)に松を植栽したという記録が残り、松の茂った島の守役人を入島させたのが定住の始まりと言われる。」とある。
かつては、人口も70人を数え、小学校も中学校もあったそうだが、(ちなみに、明治34年から大正14年までは義務教育は免除され、島に家庭教育場がおかれていた)、このままだと無人島になってしまいそうな勢いで人口が減っている。
現在、定期航路はなく、4世帯6人の住人が柑橘栽培や漁業を営んでいるという。
いまだ、電気が引かれておらず、日没から午後10時まで発電機を使って数時間だけ点灯しているそうである。
「定期船がない、医者がいない、水道がない、学校がない、それに電気までもない。・・・定期船・医者・水道・学校よりも、電気導入のみでまさに光が見えてくるのではないだろうか。」と知りあいの離島振興の関係者からいただいた資料に記されている。
この比岐島の話を聞いたとき、まず青森県と秋田県の県境にある青荷温泉のランプの宿を思い出した。
ランプの宿には電気があるのだが、基本的に電気をつけずにランプを灯す。
ランプの光はいつも移ろっていて、どこか妖気がただよい、物陰には蛍光灯では見られないはっきりとした陰影ができて、黒い中に何かが潜んでいるようで怖い。
子供の頃に感じた、いわれのない怖さ、何ものかに対する畏怖の気持ちが甦ってきた。
暗闇の中で風にざわめく木立を見つめながら、「今日、父親が威厳を無くしたのは、ひょっとしたら電気のせいではないか。」と考えたりもした。
かつて、暗闇の中、父は子に頼りにされたに違いないし、家族が助けあうことが必然的に求められただろう。
ところで、電気が引かれたことを心から歓ぶシーンといえば、「おしん」や「北の国から」を思い出す。電気という文明は、誠にありがたいものである。
そして今、比岐島には、2つの選択が残されている。
一つは、電気を導入するように働きかけて行くこと。
もう一つは、電気がないことをむしろ誇りにして、それを逆手にとることである。
私は、離島の苦しみを骨の髄まで知らないから、電気がないことに魅力さえ感じてしまう。
叱られてしまいそうだが、それは正直な気持ちである。
「ランプの宿のような発想で、よそ者を呼び込んだらどうでしょう。」
そう喉元まで言葉があがってきたのだが、
「お前はまだまだ修行がたらん」と、誰かから思われそうな気がして、言葉を胸にしまい込んだ。
青荷温泉の宿で撮影。廊下にあるランプ。
宿泊した部屋のランプ。光がゆらいで陰が動く。
温泉もランプだけで、真っ暗闇。
だが、だんだんと目が慣れてきてゆっくりと動けるようになる。
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小さな離島ではよく、地域ぐるみのお店をよく見かける。
そういったお店の中には、島の人たちの共同出資によって運営される「共同店」と呼ばれるお店もある。
そして共同店は今も元気である。
島での生活にお店が不可欠で、共同店がないと生活が成り立たない。
だから、皆で支えている。
共同店は、ずっと前から続いているコミュニティビジネスといっていいだろう。
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2006年の日本、国内法において合法的に海に捨てられた廃棄物の総量。
それは、年間770万トンであった。
海守ブログに掲載されている。
2007年4月から国内法が改正され、廃棄物の海洋投入処分が原則禁止になったが、それまでは合法的にゴミを捨てることができた。
ビニール袋一つでウミガメが死んでしまうのに、法的には今まで野放しになっていた。
いいニュースというより、今まで放置されていたことが不思議。
写真は、アイランダーで撮影した島の漂流物展示コーナー。
椰子の実などに混ざってゴミもたくさん展示されていた。
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空き家の貸し出しなど、地方で田舎暮らしの争奪戦が繰り広げられる一方で、石垣島では移住者の増加に頭を抱えている。
移住者の急増によってインフラ整備の費用がふくれあがり、石垣市の医療費負担の増加などが懸念されている。
また、自然破壊につながること、地元とのコミュニティの難しさ、さらには景観破壊など、多くの問題を抱えている。
この石垣島移住問題はテレビや雑誌などでも何度も取り上げられているので、ご存じの方も多いかと思うが、この問題を論じたブログ「もはや「団塊様、お断り」を見つけた。
そもそも、沖縄への移住を希望する人は多い。私の周りにも何人も移住を希望しているし、すでに移住した人もいる。
しかしながら、石垣島で今行われているような土地開発型の移住は、ともすると「石垣島リトルトーキョー」と呼ばれる地区を生み出し、このままだと島がメルティングポットになるのではなく、まるでゲットーのようになってしまうのではないか。
本州と違い、離島は自然、産業、生活のバランスがはっきりとわかる。
石垣島は離島だから、その問題にすぐに気がついたのだろう。
島では身の丈にあった受け入れについて考えることが求められているようだ。
写真は石垣島で撮影した宮良殿内(めーらどうぬず)
古くからのお屋敷で、今は国の重要文化財建造物に指定されている。
「石垣島リトルトーキョー」の景観とは随分と違っているようである。
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空き家を移住希望者に貸し出し、地域活性化をはかろうという試みが各地で行われている。
もちろん、離島でも盛んである。
そこでは、
・改修の資金をどうするか
・地元に、どのようにとけ込んでいくか(人間関係づくり)
・建物の状態をしっかりと把握すること(入居可能かどうか。耐震強度など)
など、多くの課題がある。
全国各地、田舎暮らしを希望する人の誘致合戦が繰り広げられ、需要(移住希望者)より供給(誘致する自治体)のほうが多い状況でなかなかむずかしそうである。
山梨県早川町にあるNPO法人、日本上流文化圏研究所発行の「上流圏だより」に、
・島根県南海町の使用可否の判断基準、
・山梨県の旧芦川村の改修資金の調達方法、
・福島県川俣町の移住者受け入れのプロセス、
・京都府綾部市の興隆寺町との連携による関係づくり
が受け入れのための参考事例として紹介されている。
広島県の生口島、宮原地区にある空き家。
子供の頃に遊びに行ったことのあるお家である。
離島をはじめ、全国各地に空き家が増え続けている。
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忽那諸島の睦月島(むづきじま)は縞売りで知られていた。
「睦月の縞売り」と縞模様の伊予絣の行商を呼んだそうである。
睦月の縞売り達は、全国各地で商いをして大いに栄えたそうで、それ故に、睦月島の家は立派な長屋門をもつ家がいまでも残っている。
島の中腹にあがると、延長が14.7kmというの長い農道があった。
その農道に「島四国八十八カ所」と「西国三十三カ所」のミニコースが設置されている。
島の人たちが、あれこれ考えて設置したのだろうか、それほど古いものではないと聞いた。
その農道からの瀬戸内海を眺めていると、背伸びをして深呼吸をしたくなるほど、のびのびとした気持ちになる。
また、島には、大きな楠があった。
二股に分かれていて、その偉容から夫婦樟(めおとくす)と呼ばれている。
夫婦は仲良く並んでいるのではなくて、元は一本の楠であった。
写真は、島の人に案内をしてもらいながら、時々立ち止まって撮影した。
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忽那諸島の中で、一番大きな島が中島(なかじま)である。
面積は、21.14k㎡、周囲は、31.2kmと大きく、バスで一周した。
人口も3,707人(2005年)と多くの人が住んでいる。
高校もある島である。
(愛媛県立松山北高校中島分校)
また、大きな病院もある。
島のほとんどが柑橘園となっていて、初夏には島全体がミカンの花の香りに包まれるという。
それから、トライアスロンの島としても知られている。昭和61年から始まった行事で、アットホームな大会として人気があり、平成18年には第21回大会が開催され、全国から401人が選手として参加している。
写真は、中島の中島港を発って中島を眺めながら撮影。
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忽那諸島の南西端にある島。
それが二神島(ふたがみじま)である。
元は、島に松が多かったため、松島と呼ばれていたらしい。
今では、柑橘類が植えられ、松はそれほど目立たない。
平成8年から海水淡水化施設が稼働し、飲料水の安定供給が出来るようになった。
診療所は一カ所あるが、常駐の医療従事者はなく、出張医療にて対応している。
島の人から、Dr.コトー診療所のような話を聞いた。
聞いた人たちは、皆、知らず知らずに涙腺が少しゆるみかけたようでもあり、
「お医者さんがいてくれたら」と、離島における医療の厳しさを思い知った。
島の高齢化率は72.9%(2005年)と著しく高い。
二神島の急傾斜地を登り、その中腹から撮影。
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日本離島研究会の人たちと忽那諸島(くつなしょとう)を訪れたことがある。
そこで、その忽那諸島の島々を紹介していきたいとおもう。
写真は、忽那諸島のある瀬戸内海。
船上で撮影した。
そろそろ夕方、島歩きでお腹がすき始めた頃。
空もだんだんとオレンジ色に染まり始めているようだ。
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母島は、父島から南へ約50kmの洋上に受かぶ南北に細長い島である。
母島観光協会のホームページに観光情報が掲載されている。
こちらも父島と同様にホエールウオッチングで知られているが、フィールドトレッキングも見逃せないという。
ハハジマメグロは、母島にしかいない特別天然記念物だといい、山には小笠原にしかない固有植物がたくさん自生しているそうである。
小笠原諸島の特徴は、島の誕生以来一度も大陸とつながったことがないことであり、島に生息する動植物は、風、海流、並びに鳥などに運ばれてきたものばかりで、それ故に小笠原にしか見られない固有種が多いそうである。
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父島は小笠原諸島で一番大きな島である。
小笠原村観光協会のホームページに観光情報が載っている。
ザトウクジラが冬から春にかけて子育てにやってくる、また、春から秋にかけてはマッコウクジラがいて、ホエールウォッチングのメッカとなっている。
そのほかにも、ドルフィンスイム、シーカヤック、それからダイビングなど、マリンスポーツが楽しめる。
ミナミハンドウイルカとハシナガイルカがいてドルフィンスイムも楽しめるそうである。
人とよく遊んでくれるのがミナミハンドウイルカ、ジャンプが得意なのがハシナガイルカだと聞いた。
島には貴重な乾性低木林が広がっていて、カタマイマイなど固有種の宝庫だという。
以前、行く予定があったのだが、残念ながら台風で欠航となってしまった。
是非とも行きたい憧れの島である。
イベント「アイランダー」に行けば、島の様子は島の人から直接聞くことが出来る。
小笠原諸島のブースには毎年訪れている。
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青ヶ島の港は、要塞のようである。
聞くと、台風の時などに大きな波が来るので、その時に船をずっと上の方に引き揚げておくのだという。
「その大波は、映画”パーフェクトストーム”みたいに凄いんですか?」
と冗談交じりで問いかけると
「ああ、ああ、あんな感じ。」
と笑いながら答えてくれた。
そして、「あの映画の波は何メートルぐらい?」などどそばにいた島の人に聞いている。
そうこうするうち、
「いや、あの映画の大波とそんなに変わらないんじゃないかな。なにしろ、あそこの上あたりまで波が来たことがあるんだから。」と
どこか誇らしげに、要塞のような絶壁の遠く上の方を指さした。
その指の先を見上げると、あまりに高くて、くらくらとめまいがしそうである。
そんな話を聞いていると、太平洋に浮かぶ絶海の孤島にいることが急に現実味を帯びて感じられ、自分がどんどん小さくなっていくような気がした。
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東京の竹芝桟橋から南へ約1,300km、太平洋戦争の激戦の島、硫黄島がある。
面積は、わずか22k㎡の島に、8万人あまりの日米両軍が36日間に渡って攻防した。
日本軍が約2万人、米軍が約1万7千人の死傷者を出したというのだが、その数字からは当時の様子を想像することができない。
硫黄島へは上陸できないが、船上より献花、黙祷し慰霊する、硫黄島クルーズの企画がある。
日本を最前線で守っているのは、古くから本土から離れた島々である。
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