サザエカレーの中ノ島、「離島発 生き残るための10の戦略」
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海洋政策研究財団が全国の71カ所の閉鎖性海湾を診断したところ、「要精密検査」となった海湾が90%もあったという。
海守ブログに載っていた。
水質、潮位振幅、藻場・干潟の面積、漁獲量などを検査した結果だそうで、
どの項目でも「要精密検査」と判定が出なかった健康な海湾は7カ所だったとのこと。
その一つが、本州の西端の日本海側にある山口県の仙崎湾。
穏やかな仙崎湾。
仙崎といえば、金子みすゞのふるさとである。
仙崎の商店街にある「金子みすゞ記念館」
写真は、金子みすずが暮らしていた部屋。
仙崎の小学校にある「わたしと小鳥とすずと」の歌碑。
写真は、すべて数年前の1月に仙崎で撮影したもの。
ちなみに、他に要精密検査とならずにすんだ湾は、岩手県の宮古湾、宮城県の万石湾、福島県の松川湾、福井県の敦賀湾、福井県の矢代湾、並びに香川県の志度湾であったようである。
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「島へ」という雑誌がある。
海風社が隔月(偶数月の1日発行)で出版していて、私も購入している。
ホームページでは下記のように紹介されている。(以下、引用です。)
スローフード・スローライフあふれる「島時間の過ごし方」をご紹介
島旅ガイド情報、島のお嫁さん募集、島の求人情報など島旅・島移住情報がもりだくさん。著名人が島について語るスペシャルインタビューや、佐藤愛子さんや竹村健一さんなどの充実のエッセイも創刊時より好評連載しています。島の食や宿、祭りのほか、島が抱える社会的な問題も扱う、島の総合誌です。島の良さを伝えたい、島を元気にしたい!と発行を続けています。
なお、最新号の特集は「すてきな島家探し」である。
私がレビューを書くとすると
「島へ」は島から元気をもらえる雑誌です。
といったところだろうか。
このブログを立ち上げて2月と少したったのだが、以前から一度は、この「島へ」をご紹介しておこうと思い、気になっていた。島好きにはおすすめの雑誌である。
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世界の映画ロケ地大事典(トニー・リーヴス著・齋藤敦子監訳)という約850ページにも及ぶロケ地案内がある。
風と共に去りぬ、ローマの休日、スター・ウォーズ、ジョーズ、ロッキー、クレイマー・クレイマー、影武者、ハリー・ポッターなど、世界各国で制作された1600本以上の映画のロケ地を、9年もの歳月をかけて取材した分厚い事典である。
見ると、巻末には、ロケ地別索引があり、国、州、都市、諸島などで仕分けがされていて、どこでどのような映画が撮影されたのかが一目で分かるようになっている。
例えば、ジョーズについてみると、「舞台となる架空のアミティ島はマサチューセッツ州の沖合に浮かぶ都会人のおしゃれな隠れ家、のマーサズ・ヴィニヤード島」などと紹介されている。
「この有名なリゾートは、捕鯨基地として栄えた19世紀から町並みが比較的よく保存されており、映画のロケ地もそのまま残っている(抜粋)」ようである。
ちなみに、日本を調べると、怪獣王ゴジラ、影武者、007/私を愛したスパイ、007は二度死ぬ、ブラックレイン、乱などが挙がっている。(著者が英国生まれのためか、欧米の作品、特に英語圏の作品が多くなっている。おそらくは、日本語のためか、残念ながら数が少ない。)
この本の面白いところは、「予算の制約などで現地で撮影できなかった」などの裏話がふんだんに書いてあることである。
このシーンは、スタジオのセットで済ませたとか、そのシーンはロケ地で撮らずに別の場所で撮影してそれらしく見せたとか詳しく紹介されている。
例えば、「007は二度死ぬ」のロケ地は、日本、ジブラルタル、バハマ、スコットランド、スペインとなっていて、「オオサト化学の本社は千代田区紀尾井町4-1にあるホテル・ニューオータニ、1964年の東京オリンピック開催に際して建てられた四角く巨大な豪華ホテルだ。(抜粋)」などと事細かに紹介されている。
また、続けて、「ヘルガ・ブラントの飛行機を日本のどこかに不時着させる場面はスコットランドのフィンメーで撮影・・・」
さらには、「麓にブロフェルドの隠れ家のある活動休止中の火山は、日本の南にある島、九州(やはり、九州のことを日本の南にある島と紹介している。)の南にある鹿児島に近い霧島国立公園にある。隠れ家の屋内場面は、パインウッド撮影所の敷地にテントを張り、その下に100万ドルかけて巨大なセットを造って撮影した。(抜粋)」などと続いていてロケーション撮影の裏話を知ることができる。
鹿児島で撮影した桜島。映画007に出てくる活動休止の火山とはこの桜島のことだろうか?
(まだ映画を見ていないので、もしどなたかご存じの方があれば、コメントをいただければ助かります。)
(ロケ地について7に続く)
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(その2の続き)
岩波書店から発行された三谷彰著「三宅島 島民たちの一年」(岩波ブックレットNO.542、2001年発行)をその当時読んだ。本棚から出してきて開いてみると、著者の全島避難の体験が綴られていて真に迫るものがある。
あらためて読み直してみると、その避難生活における問題は、全島避難後に三宅島の人たちが全国に離散してしまったことが大きい様である。
その「はじめに」をみると、「体育館や仮設住宅にいるわけでもない。島民たちが避難生活を送るとなりには、日常生活を送る地元の人たちが住んでいる。しかし、島民たちが住む場所に思い出の家具や食器はない。そこにいるはずの家族がいない。父は出稼ぎに、子どもは秋川高校で寮生活、寝たきりの祖父は老人ホームに。いつ終わるとも知れない奇妙な生活の中、島民たちは自分自身の選択をせまられている。(以上抜粋)」とある。
また、全島避難で送れるものが限られる中で、「お金では買えないもの、これが荷造りの基本だ。まずはアルバムから手をつけはじめた。」とも書かれている。
そして、その後の一時帰島についても触れられていて、「どのような姿になっていようとも、三宅島は島民自身の島なのだから、その現状をきちんと知ることは大切なことだと思う。”骨になる前に、ふるさとの島へ一度でいいから帰りたい。ひと目でいいから家を見たい。せめて位牌だけでも持ってきたい。”はじめは冗談まじりだった高齢者たちのこの会話も、いまでは悲痛なさけびに変わってしまった。」とも記されている。
そのほか、職を失った人たちの苦悩、家族と離れて暮らす子供たちのこと、ペットの問題など、避難生活で起こる様々な困難について、それらを自ら経験された方でなければ決してわからないような事柄が綴られていて、次世代が大人になる頃、つまりは後生の人たちにとっての貴重な体験談にもなるだろうと思った。
阪神・淡路大震災の報道をみても、仮設住宅が被災地から離れた郊外に建設されたため、被災者が離ればなれになり、それ故に地域コミュニティが壊れてしったとある。そしてそれが被災者の孤立を深め、街の復興をも遅らせる要因になったようで、三宅島の人たちもどんなに難儀であるだろうとおもんばかった。
(写真はだんだん遠くなる三宅島の写真。2001年に撮影した。同書の全島避難の記述には、「島民たちは無言で島を見つめた。かす数の思い出、危機から救われた安心感、今後の不安などが入りまじった、複雑で大切な時間がデッキの上にただよっていた。」とある。)
一方、それらを教訓として、生活復興の早期実現のための原則が出来上がっているという。仮設市街地を整備する場合には、
1)被災者が地区ごとにまとまって入居できるようにすること。
2)被災地の出来るだけ近くにまとまること。
3)被災者を受け身にさせずに、あくまでも自らが復興の主体となるようにすること。
4)住宅だけでなく、暮らしに必要な様々な施設を整備すること。つまりは集会所、医療施設、仮設商店街、学校などを整備すること。
この4つが求められるとされており、その実現が求められている。
(その4に続く)
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ブログを始めて間もないうちに、そもそも島とは何かについて掲載をしておきたいと思う。
まず、「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面にあるものをいう。」と国連海洋法条約で規程されている。
(沖縄諸島の阿嘉島で撮影。誰もいない静かなビーチ。)
また、日本語の「島」を辞書で調べると、島とは
「1)周囲が水によって囲まれた小陸地。成因上から火山島、珊瑚島、陸島(大陸島のこと)などに分類。
2)泉水・築山などのある庭園。林泉。
3)ある限られた地域。界隈(かいわい)。特に上方では非官許の遊郭、私娼窟をさすことが多い。色町。
4)頼りになるものごと。よすが。
5)八丈島、鬼界島など、罪人が送られる遠隔地。
6)縞(織り柄の一。2種類以上の色糸を用いて織物の経(たて)または緯(よこ)、あるいは経緯に種々の筋をあらわしたもの。)
7)島台(しまだい。州浜台の上に松、竹、梅に尉(じょう)・姥(うば)や鶴・亀などの形を配したもの。蓬莱山(ほうらいさん)を模したものという。婚礼・饗応などに飾り物として用いる。古くは島形(しまがた)といい、肴などの食物を盛った。)の略。」(広辞苑による)
となっていて、様々な意味がある。
ちなみに、このブログでの島は、1)「周囲が水によって囲まれた小陸地」と、3)「ある限られた地域。界隈。」を指している。
なお、3)「ある限られた地域。界隈。」を島ということについて、(財)日本離島センター発行のシマダスに、
「この「ある限られた地域・界隈」を示すもともとの意味は、南の島々にそのルーツがありそうだ。沖縄・奄美・トカラ列島などでは、「しま」がひとつひとつの集落という意味に加え、創世神や祖霊・精霊たちが住み、自分が死後に帰るべき地、そうした、心の世界まで包み込む大きな空間の全体を「しま」と呼ぶこともある。
「限られた」という言葉の意味が、地域によっては可能な限り「無限の」という意味にも使われるのだ。(以上抜粋)」という記述がある。(後日、そのことについては考証をして掲載したいと思う。)
(日本人の魂の原郷といわれる沖縄は「久高島」で撮影。
久高島は古代の祭祀が残った島。この島の名を軽々しく口にすると罰が当たりそうで、後日、この島については熟慮しながら書きたいと思う。
「日本の根は沖縄にある。沖縄の根は久高島にある。」と池澤夏樹氏が比嘉康雄の著書「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」(集英社新書)の帯によせている。
私も、何者かに魂を鷲掴みにされたような気がしたほどで、まさに「無限の」島宇宙である。)
さらにシマダスでは、島が「ある限られた地域・界隈」という意味であることを示す事例として、
「北アルプス登山の玄関・松本市と上高地の間に「島々(しましま)」というところがある。海のない長野県の山の中の「島々」なんて矛盾する命名だが、実際に山あいの小河川の氾濫で中州となったこともあるようだから、事実「島」化した訳だが、乗鞍岳と徳本峠(とくごうとお)に挟まれたすり鉢の底のようなところが「島々」と名づけられること自体、「限られた界隈」の意味を思い起こすのに充分である。(以上抜粋)」
と、長野県松本市安曇の島々(しましま)という集落を紹介している。
調べると、確かに松本市安曇島々(しましま)とう地名があった。島々診療所という医療施設もあるようである。また、新島々(しんしましま)駅という鉄道の駅もみつけた。かつては、島々(しましま)駅という松本電機鉄道(旧筑摩鉄道)上高地線の駅があったようで、現在は台風による土砂災害がきっかけで廃止となってしまったようである。
だが、その個性的な地名を残そうと考えたのであろうか、赤松駅という別の駅を「新島々駅」に改称し、現在もその「新島々駅」に「島々駅」の駅舎が移築保存されているようだ。
(リンクをクリックすると島々駅付近の様子がわかります。)
それから、島と関連する言葉に、「半島」、「列島」、「群島」、「諸島」という言葉があるが、それぞれ次のような意味がある。
まず、「半島」とは、「陸地が海に長く突き出したところ。小さなものを岬・崎・角・鼻などという。」
そして、「列島」とは、「多くの島が列をなして重なっているもの。」
さらに、「群島」とは、「まとまりをもって群がっている島々」
最後に、「諸島」とは、「二つ以上の島の集団」(以上、広辞苑より)となっている。
また、島に近い言葉として、「岩」、「嶼(しょ)」、「礁」、「根」、「石」などがある。それぞれ次の通りである。
「岩」とは、「石の大きいもの。特に、加工せず表面がごつごつしているもの。」
「嶼」とは、「ちいさな島」
「礁」とは、「水面に見えかくれする岩。隠れ岩。」
「根」とは、「海底などの岩礁のあるところ。」でダイビングや釣りなどでいう。
「石」とは、「岩より小さく、砂より大きい鉱物質のかたまり。」(以上、広辞苑より)となっている。
さらには、「島」の分類として、「大陸島(たいりくとう)」、「大洋島(たいようとう)」、「火山島」、「珊瑚島(さんごとう)」、それにつながる「珊瑚礁」がある。それぞれ次の通りである。
「大陸島」とは、「大陸の一部が断層・海食などにより大陸から分離され、または大陸付近に水底が隆起して生じた島。大ブリテン島の類。陸島。分離島。」
「大洋島」とは、「大洋中にある島。大陸と関係がない。火山島・珊瑚礁など」
「火山島」とは、「海底火山の噴出物の堆積によって海面上に出現した島で、多くは列状をなす。伊豆七島・小笠原諸島の類。
(写真は、噴火している三宅島。火山島である。数年前に撮影。)
「珊瑚島」とは、「珊瑚礁が水面に露出して島を形成したもの。環礁で一部が切れてできたもの、ほ礁の一部が切れてできたものなどがある。メラネシアなどの小島の多くはこれに属する。」
(写真は、沖縄諸島の宮古島で撮影。珊瑚島である。)
「珊瑚礁」とは、「サンゴ虫の群体の石灰質骨格と石灰藻とが堆積して生じた岩礁または島。清澄(せいちょう)な暖海の浅い部分に生じ、その形状と位置とによって、鋸礁(きょしょう。大洋島または大陸島の周縁に発達する珊瑚礁)、ほ礁(ほしょう。島または陸地の岸から離れて、これに平行に発達する珊瑚礁。岸との間に浅い潟がある)、環礁(かんしょう。大洋中に発達する環状の珊瑚礁。内部は浅い潟。外側は深い外洋に面する。マーシャル諸島のヤルート島の類)などの別がある。沖縄諸島・南鳥島などに発達。」(以上、広辞苑による)
(写真は、宮古島で撮影した珊瑚礁)
などとなっている。
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瀬戸上健二郎先生という、Dr.コトーのモデルとなったお医者さんが書かれた「Dr.瀬戸上の離島診療所日記」に、「世界の中心はどこ?」という節があり、「九州や本州から見れば、取るに足らないちっぽけな離島かもしれないが、視点をかえれば世界の見え方は逆転する。離島に住む人々にとっては、この場所がすべての中心なのである。」とある。
先生は、東シナ海に浮かぶ甑島列島の最南端にある鹿児島県下甑村(現在は、薩摩川内市下甑町)手打(てうち)診療所で28年間離島医療にご尽力された方であるが、その著書を読んでいると、まるでコトー先生が書かれているのではないかと錯覚するほど、下甑島とその島民への視線があたたかい。
例えば、「血の通わない統計の数字では、離島に暮らす人々の数は、日本の総人口の1パーセントにも満たないかもしれない。だからと言って、離島の住民をないがしろにしていいということにはならない。」とも書かれている。
ところで、この離島(りとう)という言葉が出来たのは、同著やシマダス((財)日本離島センター発行)によれば、昭和28年に成立した「離島振興法」の成立以降であると推測されるようである。
明治24年発行の大辞典「大言海」(大槻文彦編)にも離島(りとう)という言葉は掲載されていないらしい。それまでは、「離れ島」などと呼んでいたようだ。
さて、その「離れるということ」についてである。
以前、テレビで戦後30年間、フィリピンのルバング島で終戦を知らされぬまま、最後の一人まで戦い続けた陸軍少尉・小野田寛郎氏の特集をみたことがある。
その時に、生涯忘れないような言霊が次々と小野田さんの口から出て来たのだが、その中でも特に心に残った話がある。
小野田さんは、、「もう20年以上前であろうか、金属バットで親を殺害するという事件」を聞いて、「戦後日本」の行く末を案じたそうである。その後、日本の現状を見すえ、(財)小野田自然塾の塾長として、将来をになう青少年たちの育成に生涯をかけて、力を注いでおられる。
その小野田さんはテレビでこう話していた。(言葉の詳細は残念ながら忘れてしまった。以下は仰っていた内容である。)「この事件の少年は、どうして家を出なかったのだろう?、どうして、そこまでするぐらいなら、親と離れなかったのだろう?」
そして、「人間、頭にきたりとか、はらわたが煮えくりかえるような出来事は避けられないけれども、しょうがないじゃないですか。でも、そこから離れることはできる。僕なら家を出ていたのにどうして、・・・・・」などと話されていた。
最近のいくつかの凄惨な事件を耳にして、小野田さんの言葉を思い出した。
「どうして離れなかったのだろうか?」
瀬戸上先生も同著に書かれている。「別離や離散など、離れるという言葉には寂しさや悲しさがただよっている。(中略) だが、長年「島」で、いや「離島」で暮らしてきた身としては、まったく気にならないのである。(中略) 「離」という言葉の背景には、ただ距離をとって孤立しているという意味だけでなく、自立している、自主独立の精神も隠されているのではないか。」
数年前に沖縄島で撮影。奥に写っているのは「離島か岬か」。
今になっては記憶にはなく、写真でもよくわからない。
(その2につづく)
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(その2から続く)
なお、以下は補足的な推論であるので、土地の方々から何かコメントをいただければと願っている。
まずは、7という数字についてである。江戸時代には「七つまでは神の内」という言葉があって、数えで7歳までは子供は社会の一員というよりも「神様からの預かりもの」という感じであったらしい。昔は、亡くなったときも子墓に埋葬したりして、数えで7歳以上とは分けていたようである。それだけ、7という数字は大きな意味があるといえるのではないかと思う。「七草の祝い」が7を重ねているのはそのことと関係しているのではないか。
次に、11月15日でないことである。江戸時代初期は、江戸には江戸暦(えどごよみ)があり、薩摩藩には薩摩暦(さつまごよみ)があるなど、当時の日本には全国各地に様々な地方暦(ちほうごよみ)があった。つまりは、暦は完全に統一されてはいなかった。ひょっとするとそれが11月15日と繋がらないことと、何か関係があるのではないかと思うのだがどうであろうか。
以上、島の年中行事について書いた。「日本の島々、いくつもの日本」である。
写真は、江戸総鎮守の神田明神。七五三の時は多くの親子が参拝している。
七五三が始まった東京らしさといえるだろう。
参考資料)
1)広瀬秀雄著:日本史小百科「暦」、東京堂出版
2)産経新聞取材班編:祝祭日の研究~「祝い」を忘れた日本人へ~、角川書店
3)岩井宏實著:正月はなぜめでたいか~暮らしの中の民俗学~、大月書店
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映画監督の大林宣彦氏の著書「ぼくの瀬戸内海案内」(岩波ジュニア新書)を本屋さんで見つけた。読むと、顔のしわについて書いてあった。要約すると、
「親孝行とは、親の顔のしわを美しいと思うこと」であり、その「しわが悲しみ、喜び、怒りなどの表情をつくっている。」
そして、「人間が表情を持たなかったら心は見えないが、その心の表情をつくるものの一つがしわである。」とある。また、監督の出身地である尾道市についてもふれていて、「町のしわがなくなった」とも書かれている。
確かに、土地から”しわ”が次々と消えてしまっているようだ。
ところで、私と島との出会いは、小学校2年生の夏休みである。島の名は、瀬戸内海に浮かぶ生口島(いくちじま)で、祖母と二人で一日がかりの夜行列車での旅であった。小学校2年生の私(ぼく)にとっては、まさに大冒険で、今でも記憶に深く刻まれている。(写真は、生口島の宮原)
その時に冷えた「ラムネ」をよく飲んだのだが、そのラムネを売っていた(いつもご馳走してくれた)お店がなつかしくて、子供の頃の記憶をたどりながら集落のなかを探した。記憶はおぼろげだったが、それほど大きな集落ではないので、すぐに見つけることができた。
そのお店の写真がこれである。
残念ながら、今は空き家になっていて少し寂しい気がしたが、むしろ懐かしさの方が先だった。ちょうど、昔愛用していた筆記具がある日突然出て来たような感じで、なんとも嬉しかった。
ただ、この島の海岸線も全国各地と同じようにコンクリートで固められてしまっていて、今では潮干狩りはあまり期待できないらしい。(土地の人に聞くと、昔のように豊富な魚介類はもはや捕れないと教えてくれた。子供の時には、潮干狩りでタコまで捕れたのだが、今ではそれも難しいらしい。)
しかしながら、とにもかくにも30年以上前の記憶の中にある生口島と今の生口島を重ね合わせることができたのは、みかん畑、お寺さん、坂道、お地蔵さん、そして町並越しの瀬戸内海など、その土地ならではの”土地のしわ”のおかげではないかと思う。
写真は、お寺さんからの帰り道。いかにも瀬戸内海の島らしく、どこかのどかな坂道である。そして、なにより私にとっては子供の頃に見た”しわだらけの”懐かしい風景なのである。
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